久しぶりに、ここの心霊スポット情報を見ていたら、
杉沢村(番外編#15)のことに
ふれていてびっくりしました。
俺も最近この杉沢村のことを調べまわっていたんすよ。
元をたどると、3,4年くらい前かな、青森出身のどの友達だったか
忘れたんすけど、この村の噂話らしきを聞いたことがあったんですよ。
まるであの横溝正史の「八つ墓村」の元になった
昭和13年に岡山の山村でおこった津山事件を彷彿させる、
ものすごくおっかない話だったんでおぼえてたんすけど・・・
そいで、最近ネットを中心にリサーチをはじめました。
まず怪奇スポット扱ってるHPをしらみつぶしにあたってみたところ、
でてくるでてくる。
なぜにこれほど有名なのかね?とおもいつつ、
一番有力な情報源とおもわれるのは
「怪奇・日本の七不思議」と言うHPのこのコラム。
最終的に、これはただの都市伝説のひとつであると結論づけています。
それにしても、ほかのHPの怪奇スポットとしてあげられていますが、
どこにいっても「あそこはマジでやばい!」「いっちゃだめよ」
と念をおす投稿や書込みだけは多いものの、なぜかこれほどのインパクトが
あるの理由が掲載されておりません。
それならもっと深く潜ってやれとおもい、
あるネット上のこの手の話しに詳しい人物によって創刊されたばかりの
ダークサイドジャパンという雑誌に載っているというので、
次の日速攻本屋に向かい、森総理のポリゴン絵が表紙の怪しげな
この雑誌を手にいれました。
それによると、『入り口に鳥居のある山道のおくの場所
(東北怨念地図にも載ってるとこ)はダミー、
本物はそのほど近い場所に存在する』とあり、最後になりやら婉曲的な表現に
押さえつつ締りの悪いレポでした。
「ほんなら行って確かめてやろう」ということで、八月六日、
一昨日のねぶたをかねていってまいりました。
一夜あけた昨日に、いろんな情報から仕入れた地図を総合して鳥居のあるダミー
とされたところへ向かいました。
青森市街地から八甲山に向かう国道103号線を下って、それに交わる44号線を
西に向かうと、新しく整地がはじめられた工業団地の入り口があります。
そこをはいっていくと、キーワードとして出てくる「くさぶえ温泉」
の看板を見つけて、その道路の先に例の鳥居を発見しました。
そして、小さな石碑も間違いなくネットや
先の雑誌に載っていた写真のものでした。
山道は杉林の奥へと続いていて、前の日に雨が降っていたため湿気があり、
そこで俺は奥にいくのにためらいを感じたのですが、
友達がやる気満万なので、一緒にはいっていきました。
すると100M弱ほど入ったところにやはりネットに載っていたとおり、
最近建てたと思われる倉庫のような入り口に花輪の飾られた建物がありました。
こんなのが廃村の家屋であるはずがないのですが、
俺がびびったのは更に山道の奥のほうから聞こえてきた、爆竹の音です。
(誰か俺ら見たいなアホがもう先にきているのかな)
と思ったのですか、その声はまだ小学生くらいに少年の笑い声でした。
そこで少しあせったのですが、息を潜めていると、三度くらい爆竹を
鳴らした後にこんとはキン、キンと金属を打ち鳴らすような音が
聞こえてきました。
おれはなんかいやな感じがしてきて、とりあえず山道をでて車まで戻りました。
そこで待つこと十分程度、山道からワゴン車が出てきました。
よく分からなかったのですが、家族連れのようでした。
(なんなんだ?いったい)と思いつつも、俺は気がすすまなかったのですが、
友達が「行ってみる」と言い張るので、その更に先へと行ってみました。
すると地蔵が見えました。
そしてその墓の脇の、ひとつの地蔵のおさめられているケースの前に
線香の煙がたち上がっていました。
何やらわけありのお墓のようです。
さっきの人たちはこのお墓の血筋の方なのでしょうか?
でも爆竹はいったいなんだったのか?
そのような風習があるのでしょうか?
そして金属音も謎です・・・
ただ、とにかくヒドク気味の悪い場所でしたね。
更にそのおくへと獣道のような悪路がつづいていて、
行き止まりまでいったのですが、なにもありませんでした。
一刻も早くここを立ち去りたい気分になってきたので、
そこをでて車にもどったのですが、連れがまだ雑誌に載っていた
怪しい本物と呼ばれるところを探しに、道路を奥へとさまよいながら
進んでいきました。
すると道がそこで四本に別れていました。
右はなにやらゴルフ場のようで、さっきから高級車が
この道路を頻繁に出入りしていた理由が分かりました。
そしてさらに右が産業廃棄物処理場、正面のみちはとにかく長い道路でした。
(いったい何のためにこんな道路が)と思われるほどで、
先がどこにつながっているがわからりませんでした。
標識が何もなく、たまに脇道があったのですが、すべての脇道を
調べることはできませんでした。
こんどは鳥居が面している道路に戻ってきて、そこの脇道をあたりました。
俺は既にすっかり疲れれてきてたのですが連れは、
鎖などで封鎖されてあるところを更に奥に入っていって
写真を撮ってきたようです。
えらく興奮した様子で戻って来たのですが、奥に廃屋があったらしいです。
ただ三軒ほどしかないので、やっぱり例の村の後とは呼べないですね。
まだ見ててないすけど、よかったら今度おくりますよ。
今回行って思ったのは、やっぱり杉沢村と呼ばれる消えた村というのには
無理があるなというとこです。
それほどむごい殺人現場が現在残されているはずがないですよね。
とっくに取り壊されているはずです。
やはり、先の参考にしたHPの方の結論が正論のようなきがします・・・
ただし、これほどの言い伝え的に広まっているのだから、
昔昭和以前警察組織があまり地方の山村に及んでいなかった時代に
何らかの事件があってそのことが、かたちを変えて今杉沢村伝説が
あるのかもしれません。
それとあの鳥居の置くのお墓はなにやらわけありのような気がしました。
そっとしておくのがいいっすよね、やっぱり。
#自分が行っておいてなんですけど。(^^;)