彼女の実家は、堤町で日用品としての瓶や皿、
下水管(昔は陶器だったらしい)などをつくる 窯元であった。
実際住んでいたのは堤通りだったらしいが。
そのため 古い仙台の地図が脳裏にこびり付いているらしく
『昔あの辺は火葬場と死体置場だったのに、○○○が建ってるわよ』
『息子に包丁刺されて殺された御婆さんの店があったのよ』
などと、ドキドキするような発言が多い。
旧市街地の北の外れに位置する北山。
中山峠を越えた人馬の監視をする簡単な関所らしき物も建てられていたらしい。
伊達家居住の青葉城から北東に見下ろし、そこは丁度鬼門にも当たる。
政宗公御母堂様の眠る覚範寺、美しい庭園で知られる輪王寺、通町小学校の前身、
寺子屋跡の残る青葉神社等々、一直線上に並んでいる。
これらの神社仏閣は、実は1本の裏道で繋がっている。
その道はまるで獣道のように草木が鬱蒼と
生い茂り、蝉声が響く真夏でもひんやりとした涼しい風がそよぐと謂う。
仙台空襲に見舞われた半世紀以上も前、人々は北山を目指した。
軒下に枕を借り、餓えや渇きを癒したい。
思いは皆同じである。
しかし、限りある建物敷地、食料事情から断られる者も少なくない。
芭蕉の辻以北の裕福な商人達は懐銭を寄進し、何とか潜り込む。
だが、総てを破壊され焼き尽くされ失った殆どの人々は門前に
列を成すことしか出来なかった。
寺から寺、神社へと裏道伝いに乞う者、些細なことから命を剥奪する者
される者、悲嘆に暮れ泣き崩れる者。
幾日も放置され直射日光に晒れた亡骸からは異臭が放たれる。
まさに地獄絵図さながらの光景であった。
怨念・憎悪・嫉妬・悔恨などの様々な思いが、決して色褪せること無く
べっとりと染みついている裏道は、そんな人々の歩みで形成された。
S氏さんから寄せられた体験談はこちら
→(体験談#312)
カズチャンさんから寄せられた体験談はこちら
→(体験談#438)
おぴさんから寄せられた体験談はこちら
→(体験談#506)
他にも、先ほどの坂道で輪王寺の駐車場のすぐ隣のアパートに住んでいた
知人の話だと、夜出かけようと思いドアを開けた時、
白いもやの様な物がすべる様に輪王寺の中を移動し、動きが止まったので、
あわててドアを閉めて出かけるのをやめたそうです。
その妹さんが霊感が強く夜覗くとよく見るそうで、
遊びに行ったときふざけ半分で見せた所、
『白い衣装を着た女の人が墓碑の後ろの立っている』と言って怯えていました。
私が見ても何も見えなかったので、霊感は無いのだと思います。
余談ですが、あまり知られていない話、
輪王寺には白虎隊の最後の生き残りの人の墓があります。
自害しようとして、生き残ってしまった(名前忘れた)のを非難され、
こちらの方で生涯を過ごしたそうです。
亡くなった後、骨を分けて欲しいと言われて、会津若松に一部分けたそうです。
さらに余談ながら、現在道路を輪王寺と北山霊園の上を
通す為の工事をしています(北山霊園の方を切り崩していました。)
どの様に、輪王寺の上を通すのか(トンネルを作ると噂が・・・)分かりませんが、
新たな心霊スポットが出来る予感がします。
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| #1.小道 こういう道が続いています。 |
#2.小道 花が散っておりました。 |
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| #3.小道 木々の間をとおっています。 |
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